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地震 その時

今回の震災で、お亡くなりになった方々のご冥福を心からお祈りします。
被害のあった地域の一日も早い復旧、復興を願ってやみません。


311-1
3/11日の夜 自宅より南側 撮影  光は渋滞する車のライトの反射
すごいと思ったのは、どんなに渋滞していてもみんな1車線だけに並んでいる。
だから、緊急車輌は、がんがん2車線を飛ばしていける。

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3/11日の夜 自宅より北側 撮影  明りのあるビルは東北電力社屋(自家発電と思われる)
遠くに見える赤い光はコンビナート火災
  
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3/20 自宅より南側 撮影

2011_0320写20113210132
3/20 自宅より北側撮影  手前の暗い部分は、広瀬川河畔


3/11日 地震のあったとき、私は仕事で、仙台でも有数の強固な岩盤といわれる、
とある山沿いの住宅街のマンションにいました。

横揺れは、どんどん強くなり、その時間はとてもとても長く感じました。

私のいた場所は本当に強固な地盤だったためか、
正直、地震が終わって外に出てからも、その時はここまで大きな被害の出る地震だとは思いもしませんでした。
実際、私は地震の最中も歩いて移動していました。
地震の揺れは、とっても気持ちの悪い、今まで体験したことのないような長い揺れでしたが、
一緒にいる人と「地震、長いですね」なんて話す余裕まであったのです。

しかし、同じマンションから出てきた住民から見せられたケイタイの震度7、大津波警報に驚き、
急いで会社に向かいました。
その戻る途中に、何度か襲った余震や、神社の倒壊した石の鳥居を見て、
これはただ事ではないと思い始めました。

もう、そら君のことが心配で心配でしょうがなかった。

会社に戻ると、すでに会社はもぬけのからでした。
誰のクルマもいなくなった駐車場をみて、
地震の大きさを本当に実感しました。

荷物だけ戻そうと社屋にもどったとたんに、また大きな余震が襲い、
その揺れの大きさに、荷物をおくどころか、あわてて車に飛び乗り、自宅に向かいました。

帰る途中は信号もすべて止まっていて、
けれど、私は幸運にも、渋滞が始まる直前に自宅に戻ることができました。

マンションの下から、部屋を見上げると、
鍵を閉めてきたはずのベランダのサッシが開いています。

そら君が、パニックになってベランダに出ていたら!!

もう、半狂乱になって、
避難のため非常階段を降りてくる人たちとは間逆に、
必死になって家に向かいました。

ドアを開けて家に入るって、「そら君!」ってほとんど絶叫に近い声で叫んで捜そうとした時、
階段にぴったりとうずくまっていたそら君を発見しました。
もう、私はほっとして泣きそうでした。
家の中は、テレビは落ちているし、ケージは大きく動いているし、
引き戸は外れて倒れているし、大変な状況になっていました。

ごめんね、ひとりで相当怖い思いをしたよね。
本当にぎゅっーとそら君を抱きしめました。

固まっているそら君を、そのまま押さえつけてキャリーに入れて、
急いで、そら君のごはんやペットシーツを袋に、
お兄ちゃん、お姉ちゃんの遺骨をカバンに入れて、
共用の廊下に飛び出しました。

すると、マンションから1階や広瀬川の土手に避難している人たちに向かって、
警察の人が、
「津波が逆流して上がっているから、すぐにマンションの高層階に避難しなさい」
と叫んでいて、住民たちは慌てて戻って来ているところでした。

そんな時。

本当に突然に吹雪になって、
共用廊下から見える外の世界は一面真っ白になり、何も見えなくなりました。
ぞっとしました。
白い闇に閉じ込められたようでした。

どこに逃げていいのかわからないまま、部屋の玄関に戻ると、また大きな余震があり、
わたしはそら君のキャリーの上にかぶさって、
怯えているそら君に、「大丈夫、大丈夫」と話しかけていました。
でも、本心はもう本当にパニックになっていました。
今思えば、この時が一番恐怖で一杯で、途方にくれていたと思います。

それからしばらくして、吹雪が収まった頃、
とりあえず、車にそら君といっしょに避難しました。

今後をどうしようか考えあぐねていたのですが、
車の中にいると、そら君をキャリーに閉じ込め続けなくてはならないので、
ひとまず、本格的に暗くなる前に自宅に戻ることにしました。

家の中はひどい状態でしたが、
懐中電灯だけは常備していたので、
その明りで一晩すごしました。

停電で、仙台の街は真っ暗でした。
一晩中、救急車やパトカーのサイレンの行き来する音がなりやまず、
近くの自衛隊の駐屯地からは、ヘリが離着陸する音が聞こえ続けました。
そんな状況は数日間続きました。

北のベランダからは、暗闇の中に、遠くに何かが燃えている大きな炎
(これは、後日コンビナートの火災とわかりました)
が2箇所あり、立ち昇る炎がはっきり見えたときもありました。

何が起きているのか、状況がどうなっているのか皆目わからない中、
北の空に燃えているものが何かもわからず、
その火事が、徐々に仙台の街を燃やし尽くすのではないかと、
不安で不安で、
すぐに逃げられるようにジーンズを履いたまま寝ました。
今も、玄関にそら君の避難グッズは置いたままにしています。

今回の地震は、とても余震が多く、
その余震も震度4などの余震が続くので、
特に一日目はそら君も怯えていたと思います。

あまりにも余震が多いので、
地震ではない時でも、
ずっと地震で揺れ続けているような感覚が今でも続いています。


二日目と三日目は、会社が休みになったので、
私はずっとそら君と一緒にいました。

ずっと一緒にいることが出来たので、
そら君は三日目には、お腹を出して寝るくらいリラックスしてくれたようです(苦笑)

そして、とても驚いたこと。
テレビまでがひっくり返って落ちていたような揺れだったのに、
棚の上においてあった、お兄ちゃんお姉ちゃんの遺骨は、少しも動いていませんでした。

そら君や私を守ってくれたのだと思っています。

電気がついた瞬間は、ほっとしました。
電気って本当に安心しますね。こんなに暖かい物だってあらためて感じました。


今回の地震で感じたこと、
一つは、地震の最中にいる私達には本当に何も情報がなく、
二日目の夜遅く、電気が通って、
テレビをつけて初めて被害の甚大さを知りました。
驚愕しました。
私の知っている街が、大好きだった場所が、
ありえない景色として広がっていました。


津波の被害も、原子力も、ケイタイで見る情報では実際にどんな状況なのかが少しも伝わらず、
不安だけがつのりました。

誰に聞いても、状況を把握できている人はほとんどいなかったのではないでしょうか。

懐中電灯だけは常備しているようにしていましたが、
あらためて、ラジオの重要性を感じました。

私は電気が通るまでは、何時間かごとに車に戻り、
そこでラジオを聴いていました。
しかし、あまり長い時間そら君と離れていたくなかったので、
じっくりと車でラジオを聴くことはできませんでした。
家の中でラジオを聞けたら、もう少し安心できたかもしれません。


2011_0320写20113210133
ぼくがオカータンをまもったんだよ キリッ


二つ目はこういうときにその人間性が分かるということです。
本当に、しみじみと感じましたね。

自分がどんなにキツイ、辛い状況でも人を思いやる人もいれば、
自分だけを特別に何とかしろとキレる人達もいる。

仙台の海岸地区、石巻地区や気仙沼地区など、
本当に大変な被害を受けている人たちが沢山います。

私は多少不便な生活をしていますが、十分に暖まることのできる家があります。
それだけで十分に幸運だと思います。
幸いなことに、そら君の食料と猫砂は買い置きがあったので、
1ヶ月は大丈夫。


けれど、物資は本当にありません。
ガソリン不足は深刻です。
安否情報もなかなかつかめていません。
仙台ですらそうなのだから、
被害の大きな地域、孤立している地域はとても大変だと思います。

避難やライフライン、物資が不足する状況が長引いてきた今、
どんどんみんなの心がすさんで来ています。
地域によってはかなり治安が悪くなっている話も伝わってきています。


沢山の人たちの助けを私達は実感しています。

二日目に家の前を通る、福井県からの災害救援部隊のバスを見ました。
こんなに早く助けに来てくれるのだと驚きました。
福井に惚れました。嫁に行きたい(笑)。迷惑だと思うけど(笑)。
横浜市営バスが、仙台のバス路線でフツーに乗客を乗せて走っていました。
思わず、にやっとしちゃいました。かっこいいと思いました。
県外ナンバーの電力作業の車や、
災害緊急車輌と手書きされた作業車が沢山走っていました。
そんな人たちを見て涙が滲みました。

中には、自分や家族、親戚が被災している人たちもいると思う。
それでも、私達のために身を粉にしてくれている。

私達のために、電気を消して、我慢してくれている人たちもいる。
遠くから、励ましてくれる人たちがいる。


本当にありがとう。
本当に本当にありがとう。

2011_0320写20113210201
ぼくはさっさと復旧しちゃったよ


そら君の天然パワーに救われています(⌒▽⌒)
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この記事へのコメント

- みかん72 - 2011年03月21日 12:27:32

初めまして。
私も仙台市内に住んでいます。
るーちゃまさんの地震当日のお話を読ませていただいて
、かなり状況的に近いものがあり。
「本当にそう!」と、共感してしまい思わずコメントをしてしまいました。

実は、うちにも未だに納骨出来ていない猫達の遺骨があって(ブログには一度も載せた事はないのですが)
同じ棚に置いてある観葉植物が下に落ちたりしたのに、
そのふたつの遺骨はびくともしていませんでした。
(他は酷い有様ですよ…)
こういう事もあるものなのですね。

今回の地震は本当に、この目で見ても未だに信じられない事ばかりで、自分にも何か出来る事はないのか?
と、毎日考えています。

沿岸部にくらべたら、自分の今の状況は本当に全然対した事がなくて、贅沢は言ってられない!!
と、思わずにはいられません。

お互いに、大切な猫ちゃんを守りつつ…何とか乗り切りましょうね!!本当に!

- にゃあすけまま - 2011年03月21日 16:25:40

る~ちゃまさん、そらくん、
本当に、大変な思いをされて、
こわい思いをされて、でも無事でよかった。

横浜も揺れました、ひとりで3匹連れて
どういうふうに逃げよう、どうやって守ろうってとにかくそれしか大切なことはなかったけど、

もっともっと、たいへんだったのに、
それでも被災地の方々を思いやってる
ありがとうって言い続けてくれる
る~ちゃまさん、本当にえらいと思います。

私の友達も、避難所で指揮をとったり、
ボランティアへむかってる友人が一杯
います。ガソリンがないので営業所
止めですが、物資を送りたいと言って
くれてる友人もいます。

私ができることはわずかだけど、る~ちゃまさん、そらちゃんにつながることを
信じてつづけるからね。

そして、私ができることあったらなんでも
協力させてください!

仙台・宮城も岩手も福島も
みんなで、助け合って復興しようね!
一緒にがんばろう。

「私と私の家族の思いはあなたとともに
あります。私の愛と祈りはあなたとあなたの
国と、あなたの未来が再び立ち上がるために
ささげます。」イギリスのお友達が
私の家族を心配してすぐにカードをくれました。この言葉どうか、彼女の思い、一緒に
受け取ってくださいね。




- Chikaぽん - 2011年03月21日 16:59:57

baraiさんから、るーちゃまさんとそら君の無事の知らせを聞き
本当に安心しました。無事で良かった!!
私が知っている東北方面のお友達で
るーちゃまさんが一番最後に安否確認が取れたので、
それまで心配で心配で・・・・・
東京もかなり揺れたけれど、甚大な被害を受けた被災地に比べれば、
電車が止まっちゃって自宅まで徒歩で歩いて帰ったのなんて、どーっつことないもん!
復興に向けてこれからが頑張りどころ!
私も自分が出来ることを精一杯やっていきます。
買い物は必要最低限だけ。常に節電!!
少しでも早く東北に物資が、ライフラインが安定供給されますように。

個人で救援物資を送りたいと思ってる人間は沢山いるだろうけど、
営業所止めだとそこに取りに行くにも足が無い、ガソリンがないで逆に迷惑になってしまうから、
今は行政が募集している品目に限り受付窓口に出さないと・・・
善意が迷惑な行動にならないようにしないとね。

- masa - 2011年03月21日 23:38:14

るーちゃま大変だったね。
ご無事で何より。
るー様やれお君が守ってくれたね、よかった、本当に。
余震もまだまだ続いています、気をつけてね。
こんな私でも何かできることがあれば遠慮なく言って下さいね。

管理人のみ閲覧できます - - 2011年03月22日 02:20:00

このコメントは管理人のみ閲覧できます

- るーちゃま - 2011年03月23日 00:03:47

★みかん72
はじめまして、コメントありがとうございます。
本当に不思議なことがあるんですね。
でも遺骨が落ちなかったことは、ただの運ではないと思います。
虹の橋から、ずっと見守ってくれているのだと思います。
私も今の私に何ができるのか、ずっと考えています。
まずは自分のにゃあ達とがんばらなきゃいけませんよね。
きっと私達は皆大丈夫。
一日一日と暖かくなる、今が春でよかったと心から思います。

★にゃあすけままさん
ご心配おかけしました。
本当に暖かい言葉が胸に滲みました。
みんなの優しい気持ちが、仙台や東北にいる私達に本当に響いています!
本当にありがとう。
私は勿論、そら君もとっても元気です。
あっという間の10日間でした。
私も私の周りの人たちも、
地震の前後からの自分の行動を漠然としか思い出せず、
いまだにぼーっとした感覚を感じている人たちが多いです。
それでも、私もそら君も、今は十分に生活できていますから安心してくださいね^^
お店もどんどん営業が始まり、まだ、商品購入の制限のある場合も多いけど、
私達の周りは少しずつ、日常を取り戻しつつあります。
もし、これから、この現地から必要だと思うものがあったら、協力をお願いしますね^^
私達には、まだまだがんばる力があります!
一緒に頑張りましょう!

★Chikaぽんさん
ご心配をおかけしました。
暖かい気持ちを本当にありがとう!!
まさか、自分がこんな経験をすることになるとは思いもしなかったけれど、
しみじみと人間は、ううん、女はつよいなぁ!と思っています^^
やっぱ生活力があるからね!
トイレを流すお水がないからって、
目の前の広瀬川から汲んで使っちゃったりしてましたww
買い物も、私は一人だし必要な分だけしか買いません。
一人10点などの買い物の制限があるスーパーが多いけど、一人暮らしなら、十分間に合います。
食べきれないほど買い占めたってしょうがないよね。
自分にできることを、粛々と。
それが一番だと思っています。
皆の心を沢山感じています。
一緒にがんばるよ!ありがとう!

★masaさん
ご心配をおかけしました。
本当にやさしい言葉をありがとう。
この10日間、本当に早かったけど、
そら君がいてくれたから、本当に心強かった。
一人だったら、不安で不安でしょうがなかったと思う。
れお君とるー様が常に側にいてくれたと思う。
これから落ち着いてきたら、お願いしたいことがあるかもしれません。
その時は遠慮なく御願いさせてもらいますね^^

★鍵さん
ご心配をおかけしました。
暖かいことば本当にアリガトウ!
私もそら君も、今は元気に普通の生活に戻れています。
若干の不自由、不便はあるけど、
今までの生活が恵まれすぎていたのかもしれないですね。
そら君も地震によるストレスや心的後遺症は余りないようなので、ほっとしています。
何かこれからはお願いしたいことがあるかもしれません。
その時は遠慮なくお願いしますので、よろしくお願いします。

- にゃあすけまま - 2011年03月27日 22:42:17

少しづつ、日常に戻りつつあると
きいてほっとしています。
でも、仙台は思ったより
被害が大きいね。なにかできることが
あったら言ってね。
一緒にがんばるからね!

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プロフィール

るーちゃま

Author:るーちゃま
広瀬川のほとりに3匹のにゃんずと暮らしています。

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